えらびぬかれた美、とぎすまされる時。

一瞬では完成しない。 時をかけて育むもの。 選びぬき、とぎすます。 削ぎおとし、見えてくる。 豊かさと美しさが、満ちていく。 歴史を受け継ぎ、繋いでいく。

esoto

成り立ちAbout

宿場 esotoは、1750年創業の日本酒ブランド「七賢」を醸す山梨銘醸が手掛ける、一日一組限定の一棟貸し文化屋敷です。
山梨の豊かな水と、三百年の醸造。地元の食、受け継がれてきた文化。そのすべてが静かに交差する場所で、ただ滞在するのではなく、土地の時間そのものを味わう特別なひとときをお届けいたします。

水との出会い

Water is our essence

1750年(寛延三年)、初代・北原伊兵衛は、信州高遠の地から白州へとやってきました。きっかけは、ただひとつ。この土地に流れる水の美しさに、心を奪われたからでした。 甲斐駒ヶ岳の花崗岩層に、およそ二十七年の歳月をかけて磨かれた伏流水。柔らかく、清冽で、けれど芯がある。その一杯が、七賢の酒の輪郭をかたちづくり、いまもなお、すべての営みの源となっています。 esotoでお過ごしになる一晩は、その水と出会いなおすための時間です。水源地へと足をのばし、蔵風呂で湯に浸り、酒として唇で確かめる。「水が真ん中に流れる」という七賢の思想が、ここでは滞在のすべてに静かに息づいています。

台ヶ原宿とともに歩んだ、三百年

かつて甲州街道で随一の賑わいを見せた、宿場町・台ヶ原。旅人が行き交い、馬の鈴が鳴り、文化と人が出会う場所。七賢の酒蔵は、その町の真ん中で生まれ、町とともに歩んできました。 1835年(天保六年)、高遠城主より竣工祝に贈られた「竹林の七賢人」の欄間が、現在の酒名の由来となります。1880年(明治十三年)には、明治天皇御巡幸の折に母屋の奥座敷が「行在所」に指定され、のちに国の史蹟へ。1925年(大正十四年)には法人「山梨銘醸株式会社」を創立し、地域経済を支える存在として歩みを進めてまいりました。 時代が移り変わるなかで、人通りもまた静かになっていきました。それでもなお、町の真ん中で水を醸し続けてきた私たちにとって、台ヶ原宿に再び灯りをともすことは、自然な使命と言えます。esotoは、その第一歩として生まれました。

風土を、味わう

食と日本酒の探求

1999年、農業法人「大中屋」を設立。地元の生産者と手を取り、自らの手で原料米を育てる試みを始めました。翌2000年には、直営レストラン「臺眠(ダイミン)」を開業。土地の旬と、土地の酒をひとつの卓のうえで響かせる試みを、四半世紀にわたり続けてきました。 esotoの食卓に並ぶのは、急ごしらえのご馳走ではありません。白州の自然と、発酵の文化に長く向き合ってきたからこそ整えられる、本物のテロワール体験。 七賢の酒が持つ「いかなる場にも溶け込む滑らかさ」が、土地の食材をそっと引き立て、ひと皿ひとくちの中に、白州の風土が静かに広がっていきます。

日本酒を、もっと遠くへ

MAKE SPARKS

2014年、ブランド戦略を一新。2015年には、開発に5年を費やした瓶内二次発酵スパークリング日本酒「山ノ霞」を世に送り出しました。やがて、フランス料理界の巨匠アラン・デュカス氏と手を組み、世界の食卓に日本酒の新しい姿を届けていくのです。 MAKE SPARKS ― 未知とぶつかり、うつくしい火花を上げにいく。 三百年続く酒蔵が、いま「宿」をひらく。それは突飛なことではなく、私たちにとっての、ごく自然な次の一歩。日本酒を、もっと遠くへ。そのために、もっと深く土地と向き合う。宿場esotoは、その意志のかたちなのです。

宿場 esotoの誕生と、未来への景色

「esoto」という名は、七賢がずっと大切にしてきた三つの美意識 ― えらびぬく、そぎおとす、とぎすます ― から。残すべきものだけを選び、余分を削ぎ、感性を研ぎ澄ましていく。その営みの先に、ようやくかたちになった宿です。 ホテルでも、旅館でもなく、私たちはこの場所を「宿場」と呼ぶことにいたします。 ひとつの宿で完結する場所ではなく、人と文化が再び行き交う、町への入口。台ヶ原の記憶を未来へ手渡し、新しい出会いを生み出していく。そんな未来にひらかれた場所でありたい。