esotoノLetterノ
#02
2026-07-13

宿場 esoto の卓には、いつもひとつの酒が寄り添っています。
1750年、江戸・寛延三年より白州の地で醸されてきた、七賢のお酒。
初代・北原伊兵衛が信州高遠から白州へと居を移した理由は、この土地に流れる水の美しさに、心を奪われたからでした。
以来、二百七十余年。
十三代・北原対馬に至るまで、七賢の酒造りは一貫して、**「白州の名水を体現する」**ことを使命として続けられてきました。
その営みから生まれる十七のラインナップは、それぞれに異なる表情を持ちながら、すべての奥底で、同じひとすじの水と繋がっています。
Letter 第二号となる本稿では、七賢というお酒の背景と、十七の表情、それぞれの佇まいをお伝えいたします。
宿場 esoto の卓で。
あるいは、酒蔵で。
その一杯にお会いになる前の、静かな読み物としてお楽しみください。

南アルプス・甲斐駒ヶ岳の山肌に降った雨と雪は、花崗岩の地層を、およそ二十七年の歳月をかけて旅します。
その果てに湧き出す伏流水こそが、白州の名水。
硬度およそ二十の超軟水。
口当たりはやさしく、ほんのりと甘さを湛えています。
水の硬度は、そのまま酒の顔つきに現れます。
軟水で仕込まれる酒は、発酵がゆるやかに進むぶん、きめの細やかさと、口中でふくらむ柔らかさを備えていきます。
七賢の酒に共通する、静かで澄んだ味わい。
それは、この水の性格そのものと言っても過言ではありません。
初代がこの地を選んだ理由も、十三代がいま世界を目指す拠り所も、すべては、白州の水にあります。

「七賢」という酒の名は、1835年、天保六年の母屋新築の折に、高遠城主より贈られた「竹林の七賢人」の欄間一対に由来します。
魏晋の世に俗を離れ、竹林に集って清談を楽しんだ、七人の賢者。
その名を冠した酒は、以後、台ヶ原の町とともに歩んでまいりました。
1880年、明治十三年には、明治天皇御巡幸の折、母屋の奥座敷が**「行在所」**に指定され、のちに国の史蹟へと定められています。
その同じ屋敷が、いまは宿場 esoto の中心をなす場所でもあります。
泊まる。
味わう。
そして、醸す。
三百年の時が、ひとつの町に静かに層をなしているのです。

世界のアルコール消費のおよそ七割は、炭酸ガス入りの飲み物だと言われています。
ビール、シャンパン、ハイボール。
人と人が集うテーブルには、いつも泡がありました。
その景色のなかに、日本酒はどう並び立てるだろうか。
七賢がその問いに応えたのが、2015年に発表した**「山ノ霞」**でした。
採用したのは、シャンパーニュと同じ**「瓶内二次発酵」**の製法。
一次発酵を終えた酒を瓶に詰め、そのなかで再び発酵を促していく手法です。
糖類を後から加えない**「ノン・ドサージュ」**を選ぶことで、泡の力強さではなく、きめ細やかさと、澄んだ後味を求めました。
開発には、五年の歳月。
その長い試行錯誤を経て、白州の水にしか生み出せない、繊細な泡が誕生しました。
その後、七賢はフランス料理界の巨匠、アラン・デュカス氏、ジェラール・マルジョン氏との協働により、世界の食卓へ向けたスパークリングを発表しています。
MAKE SPARKS
未知とぶつかり、うつくしい火花を上げにいく。
その言葉のとおり、三百年の蔵は、いまも新しい火花を上げ続けています。

スパークリングから本醸造まで。
熟成古酒から焼酎まで。
七賢の十七の表情は、それぞれ驚くほど異なる顔をしています。
しかし、そのすべての奥に流れるのは、二十七年をかけて磨かれた、たったひとすじの水です。
宿場 esoto の卓では、季節に応じて、料理に応じて、この十七のうちのいくつかがカウンターに並びます。
同じ夜は、二度とありません。
その日の白州の風。
その日の食材。
その日の、あなた。
たったひと組のための一献を、静かにお注ぎいたします。
次号以降の Letter では、この十七の表情を一本ずつ深く辿り、その酒がどのように生まれ、どのような食と響き合うのかを、丁寧にお届けしてまいります。
白州の水から始まる、長い長い物語。
その続きを、どうぞご期待ください。
宿場 esoto / 山梨銘醸株式会社
Letter vol.02
白州の水、七賢の酒|十七の表情